2016年3月29日火曜日

3月29日、スービックベイヨットクラブ

3月27日にアパリに到着し、入国手続きは行わず、燃料、パン、バナナを買って
翌朝7時に出港しました。
昼前から風が急に強くなり、その後はスービックベイに着くまで2日間、吹きっぱなし。
北北東から北から20-30ノット超が吹き続けました。
メインセールは2ポイントリーフ、ジブは30%-70%の展開です。
写真では荒れた海の感じはでませんね。





343マイルを走って、27日の午前9時にスービックベイヨットクラブに到着。
最初の遭遇はここでもフィシャ―マン。

ここは、昨年の5月に寄っています。マリーナスタッフは覚えていて、昨年と
同じバースを用意してくれました。
同時にここでは香港を23日に出発しスービックベイをフィニッシュとする
2016ローレックスチャイナシーレースが行われており、レース艇は既に
到着済。
今日、27日が表彰式という事で、マリーナには旗を掲げた
レース艇が沢山停泊しています。


日本からは愛知のベンガル7が参戦。クラス3位の成績の様でした。
日本を代表する54フィートの外洋レーサーです。迫力あります。

さて、気候は全くのトロピカル。晴れた空に、気持のよい風が吹き渡っています。
気温は午前11時で30度。洗濯日和です。

暖かい寝具、服はここで洗いしまい込みます。
28日にはここから乗艇する安齋さん、杉崎さん到着。
到着の夜は、現地食の屋台、5人で925円のディナー、安さを楽しみました。

その後に、2次回に日本食・櫻で締めました。
29日は辻野さん退船。買い出しに行って後、1週間の近海クルージングに出発します。


女性が加わったので、船内の雰囲気は変わります

3月25日、アパリで入国できない。のでスービックベイへ移動。

思い出の花蓮を21日の午後に出発し、353海里南に走ってフィリピンのアパリに
24日の午前11時に到着しました。

 
このルートは北に向かって流れる黒潮の影響をいかに浮けないか?が
ポイントです。
 
台湾に沿って南下時は沿岸ぎりぎり、岸から約1-2海里の位置で
反流、つまり南に向かって流れる流れを掴みましたので、快調でした。
 
台湾を離れて後、ルソン海峡を横切って南下時は、流れが逆で両エンジン
フル回転。フィリピンに近づいたら、流れに押される様になり、気持よく
アパリに着きました。
 
2人乗りの小さな漁船が近寄って来ました。細身の船体の両側に
竹で作ったアウトリガーをつけています。これが最初のアパリの人との
コンタクトです。サバを手に掲げるので、サバを売りたいのかなあ、と
見つつ、意味も無く、ビールを2缶プレゼント。喜んでいました。
 

が、アパリの河口の入り口は妙に波立っています。電子海図では深いはず
の所に砂が堆積して浅くなっていました。海図はやめ、目ん玉と深度計を
頼りにゆっくりとアンカーを打つところに入り、水深4.5mの所にアンカー
を打ちます。
取り敢えず、乾杯!

 
無線でハーバーマスターを呼んでも、答え無。良くある事で、
Uminekoの船長はちっとも気にならない様になっています。
 
昼ごはんは簡単にイカスミ焼きそばとビールで済ませ、ゴムボート
を出して、上陸です。子供たちが沢山浜辺で泳いで遊んでいます。
 
我々のボートを見つけてわっと寄ってきました。駒井さんと佐藤が
降りて、Uminekoに帰る辻野さん運転のボート振り返ると、子供たちが
ボートに纏わりつき、占領されつつあります。
 
そうしているうちに年上の2人が他の小さい子を静して、開放してくれました。

 
上陸して、手続きが出来そうな場所を探します。典型的、アジアのスラム街
ですが。怖さは感じません。


コーストガードの基地にいた青年から税関とイミグレの場所を聞き出し、向かいます。
 
ゲートは閉まっています。嫌な感じ。鍵はかかっていなかったので、開けて中に
入ります。「たのもう」。なかから一人の20代位の男が出てきました。
 
カソリックの休日で今日から4連休。誰もいないよ。という事でした。
なんとかならんか?と食い下がります。電話を掛けてくれましたが、「月曜まで
待ってくれ。」部屋に入ってテレビを見始めました。
帰ってくれと無言で語っています。

 
月曜はここから先で乗員の入れ替えがあり、ここで4日間も待てません。
 
フィリピンペソが必要なのと、燃料補給が必要なので、サイドカーの
若者に連れて行ってもらいます。銀行のATMで現金は出せました。
燃料はシェルのガソリンスタンドがあり、軽油は1リットル約50円。
しかし、運ぶ方法が無い。
 
サイドカーの若者に、「船まで来てポリタンク7個を受け取り、160リットル
入れて、再び船まで届けてくれたら、2000円払うがどうか?」と提案。
しばし考えて後、合意に至り、午後4時に船に来てもらう事に。
 
我々は船に戻り、ポリタンクの軽油を船のタンクに移し、空のポリタンク
にして準備します。3時45分、予定時刻よりも早く、トントンと単気筒エンジン
の音が聞こえてきました。
若者が親父さんと親戚の男を集め、親父さんの船でやってきました。
 
船長、私ですが、その船の乗り込みます。ウネリのある海面をその木船は
ゆっくりと街に向かって進みます。ゆったりと左、右に揺れ、スリル満点。
川から街に入ります。川というか運河というか水路が沢山あって、フィリピンのベニス!



 
ガソリンスタンドから150mの所に船を停め、一族がタンクを運び、満タンにして
私は支払い、彼らが運びます。
その間に、バンとバナナのショッピングも行いました。


 
Uminekoに戻るころはウネリが更に大きくなり、大揺れ。満タンのポリタンを
Uminekoに移すのも、大変。
これで手数料2000円は大バーゲン。かれらもこれで1000ペソは大儲け。
ウィンウィンの取引は気持ちがいい。
 
24日の夜は大揺れの泊地で一晩を過ごします。
 
乗員入れ替え地点をマニラの北にあるスービックベイヨットクラブに変更。
25日の午前7時にアパリを出て、現在スービックに向かっています。

約330海里。27日に到着予定です。

2016年3月22日火曜日

3月21日、修理完了。フィリピンに向かっています。

キールの修理は予定通り終わり、21日の午後4時18分に花蓮を出発し、フィリピンのアパリに向かっています。
 
3月15日は夜に花蓮ヨットクラブ、漢字で書くと「花蓮懸重型帆船協會」と、いかめしくなりますが、
メンバー4名がUminekoに来ました。

食べ物を持ってくるというので、ご飯類を期待して
準部万端、約束の7時半を待ちました。持って来てもらったのは、ケーキでありました。

冷たく冷やしたヨーグルト系のケーキです。とても美味しかったのですが、腹には物足りないですね。
いつものプレゼンを船内でプロジェクターを使って行いました。

 
16日はタクシーを一日借りて清水断崖と、太魯閣国立公園の観光です。
清水断崖の絶壁の道路の標識の下にあった「南無阿弥陀仏」と書いたプレートが
印象的でした。

 海岸は石浜で、波が引く時にガラガラと石の動く音が聞こえます。

太魯閣の岸壁、岩は誠にダイナミック。雨が降った後で、川は灰色の濁流が迸り、
すごかった。この地方は世界でも有数の大理石の産地で、岩マニアの人にとっては
天国でしょう。




太魯閣の中心に天祥という村があります。
お寺があって、沢山の神様が最善箱の
後ろに鎮座している様子は、日本の神社とよく似ていますね。

修理がうまくいくように5カ所の神様にお賽銭を渡し、お祈りをしてきました。




ここから歩いて滝を見に行ったのですが、その途中にいくつもトンネルがあります。
真っ暗で照明無し。最初のトンネルは長さが450m位でしたが、真っ暗。

岩盤に立派なトンネルを掘ったのに、照明の一つも付けないのは不思議です。
写真で光っているのは反射板です。

40分歩いた先がトンネル内の滝。トンネルの天井の激しい水漏れの様ですが。


 
17日は上架の日。暖かかったので、事前に潜って損傷場所の確認です。
思った通り、船体の下に腹鰭の如く出ているキールの先が壊れていました。

午前中に下ろすはずの観光船の検査が遅れ、Uminekoの上架は18日に延期。

 
18日の朝に上架完了。傷ついたキールの先から水がしたたり落ちていました。

街に用事で出かけている間に、ファイバーグラスの積層を終えていました。
あれ、早すぎる。乾燥が不十分だろうと思われたので、やり直しをしてもらいした。
 
19日にはLin青年が来ました。朝ごはんといって、スープと説明の難しい食べ物を
持ってきました。いい青年です。

上架したついでに、この時でないと出来ない作業を行います。
セイルドライブのオイルの交換。スクリュウを外して軸に絡んでいる繊維の掃除。

船体に塗ってあるカッパーコートというコーティングのペーパーがけ。
古いFRP船体に現れる水ぶくれ(ブリスター)の処置。

やる事はいくらでも出てきます。これがヨットです。

 
20日には花蓮ヨット協会の青年、張さんに海岸沿いにある、海の訓練所に
招待してもらいました。海洋大学の教授OBの蘇さんが主催している施設で
カヤックを使って海の色々を若者に教えています。

訓練所の前の海岸にあったテトラポッドを自分でクレーンで取り覗いて海に出る道を付けたとの事。いいんですかね。

浜ではトーチカがテトラポッドの間で静かに歴史物語っていました。
夢は手作りヨットで世界一周。

その前に、古代の船を作って、花蓮から与那国島まで、黒潮に乗って
行きたいという計画があるようです。
 
昼ごはんをごちそうになり、食べ物の御土産を沢山頂きました。
高価なカラスミも。





船の修理の為に、台東と後壁湖には寄れませんでしたが、
親切な人達と出会い、楽しい時間を花蓮では過ごせました。
 
24日にはアパリ到着予定です。フィリピンは暖かそうです。

2016年3月15日火曜日

3月15日、基隆から烏石経由花蓮へ

オンザロックと聞けば、ウィスキー、焼酎。日本酒、ワインをそうする人もいます。
飲み物のオンザロックは我々を幸せにしますが、ヨットの話だとオーナーを悲しませます。
 
3月12日、風が弱まるのを待って海大係留所を離岸しました。
出口までは浅く、所々海底に岩が転がっていので、慎重に慎重を
重ね、海大OBのLinさんに案内を頼み、両船首には見張りを立てて
そろそろ進みました。
ところが、最初の危険マークのブイを過ぎた所で、ごつん。
水面下の岩に乗り上げ、船は岩に捕らわれの身に。
オンザロック!


写真は下手人の岩です。離岩後に写した写真で、船体塗料の白が
岩にこびりついています。
幸いにも上げ潮だったので、約1時間後に離れる事が出来ました。
 
雨が降り、寒かったので、そのまま次の港、烏石漁港に向けて出発。
向かい風と逆潮でエンジン頼りに東に進みます。
 
最初の岬を超えて進路を南東に取ります。次の岬はLinさんによると
荒れる岬。黒潮と台湾北部を東に向かって流れる海流がぶつかる所で
波が立つ所。風は東20ノットで、拍車を掛けています。
いやいや、大変な所でした。3-4mの悪い波の歓迎を受けました。
 
そこは手動操船でクリア。その後の烏石漁港に向かう道は黒潮の反流らしき
連れ潮があり、気持ち悪い後は気持ちよく進めました。
 
烏石漁港にはマリーナがありますが、カタマランは入れて貰えないので
岸壁に舫います。オレンジ色のつなぎを着た、コーストガード職員が
向かえてくれました。親切なコーストガードで、電話一本でマリーナのゲートを
開けに来てくれます。


 


ここから少し南に下った所に温泉があるというので、タクシーで向かいます。
20分位走って300元なり。日本の大きな温泉観光地に雰囲気が似ています。
中心部には足湯があり、土曜の今日は沢山の観光客でにぎわっていました。
金魚の入った足湯が人気の様でした。





 

共同湯は日本の温泉にそっくりのです。しばし温まり、リラックス。
道端の屋台でエビ、イカ、沢蟹の唐揚げを買い込み、生ビールで
乾杯。お湯の後のビールは何処で飲んでも最高ですね。
ところで、台湾の野菜は美味しいですが、ミニトマトは甘くて美味しいです。
晩御飯はマリーナのある漁港に戻り、生きた材料を買って、近くのレストランに
持ち込み、料理をしてもらいました。ロブスター、イセエビ、カニは高いのでやめ。大きなイカ、牡蠣、蛤、エビで堪能しました。
食べきれず、残りは持ち帰りです。




 
ここは泊まらず、夜の8時に出発。南に57マイルの花蓮に向かいます。
風は東の微風から徐々に南東―南に変わり、強くなってきます。
エンジン全開です。
13日になり、明るくなると、台湾の東海岸の急峻な景色が見えてきます。
有名な太魯閣も海側から見る事が出来ました。
 



花蓮港の入り口にある大きな赤色の灯台に向かえてもらい、花蓮港入港。
つけた所は大橋舟。大橋造船か?そこの岸壁です。コーストガードが現れ、
Linさんが入港届けを提出します。造船所のトイレ、湯の出るシャワーを使わせて
貰います。タダではありません。一泊650元也。






 
街から離れているので、周りに何もない所と想像していましたが、クジラ見学
を売り物にしている観光港で、レストラン、カフェ、お土産や、工作部屋があり
たすかります。パイプを曲げて浮力体にした面白い船がありました。



 
タクシーで花蓮の中心街に出て、ぶらつき、高台にある旧日本軍の本部となっていた所
、市内の蒸気機関車の置いてある所を訪問。 旧日本軍の建物の中では生け花展をやっていました。平和です。


Linさんは月曜から仕事があるので、ここで別れて帰宅です。
 晩御飯はマンボウを食べました。土佐清水では天ぷらでしたが、ここでは野菜との炒めもの。
弾力のある肉質です。
又、ここでは魚のつみれが名物の様で、シイラの身が材料です。



さて、寝る前に歯を磨くのに水を口に入れたら、少し塩辛い。んーー。辻野さんも
同意見。水は右のタンクから来ています。タンクの水量を見ると、使った割りに水位が
高い。
ひょっとすると、基隆を出る時のオンザロックでキールにヒビが入り、そこから海水が
キールの内側の清水タンク部に入ったのでは?
水面の高さをノギスで測りメモします。
 
翌朝、12時間後に再び高さを測ったら、水位が上がっていました。水の味は塩を
感じます。間違いなく、海水が入ってきています。ゆっくりと。
塞がないと、徐々に海水が入り、やがては右の船体が浸水する事になります。
大至急、船を陸に上げて、修理が必要です。
 
淡々と書いていますが、カリブ海で舵が無くなって以来の大トラブルで、内心は穏やかでは
ありません。が、落ち着いた振りをして対策を考えます。
 
St. Francisの造船所に修理のアドバイスを伺い、保険会社には仮報告をしておきます。
 
さて、なんと、今停まっているのが、造船所の岸壁。
工場内部を覗くと、修理に必要な材料、機材はあります。
 
オーストラリアで左のエンジンが壊れた時は、停泊してあるマリーナにあるヤンマー代理店に、新品の
同じエンジンがありました。
カリブ海で舵が無くなった時は、近くの島に、同じ船の舵の型がありました。
今回は修理の出来る造船所の岸壁に停泊しています。
応援頂いている方々に見守られているという気がします。
 
Linさんを通じて、工場に話をしてもらい、17日に上架、21日に工事終了というスケジュールで
話が付きました。ひと安心です。上架するまでは油断は禁物ですが。
 

ここで捕まるので、台東、後壁湖寄港は取りやめ、花蓮から直接フィリピンに向かいます。