2015年11月2日月曜日

宜野湾に着きました。

与論島の夜の名物が「与論献奉」なら昼に行くべき場所No,1は百合ガ浜。
 
与論島の東側にある海岸のリーフの内側にある浅瀬です。

 
干潮時のみ、その白砂の姿を現し、潮が満ちると共にその姿は海の底。
そしてその白砂の中に星型の砂が混じっていて、それを年の数集めると
願いがかなうーーーという事になっています。
 
10月25日は朝から快晴。百合ガ浜に行きました。
 
水着とシュノーケルを持って海岸に行きました。
海岸から百合ガ浜までは数百メートル。沖に砂浜が出ていて20人位の
人影が見えます。
 
渡し船の代金は1人2000円。普段、船で移動してますからね、これが
途方もなく高く感じる訳です。
 
歩いて行けるとも思いましたが、親切にされた与論島に
お金を落とす事も大事であると考え、渡し船を使う事にしました。
 
海の色は全く、美しい。世界一級の海の色です。
直ぐに海抜数10センチの百合ガ浜にボートはずずずっと到着。







 
早速潜ります。きれい、キレイ! 水はガラスの如くの透明さでサンゴ礁
の周りにはかわいい魚が群れています。
色の綺麗なウツボも見る事が出来ました。
 
星型の砂、ですが簡単には見つかりません。年の数を集めようとすると
水没間違いなしです。
 
そういう意味では前日にお土産屋で買った小さな瓶に入った星の砂
250円は安いのかも。
(その後、那覇の市場近くで、1瓶50円で売っている事を知ったときは
ショックでありました)
 
26日は与論島を後にします。吉田幸人さんが見送りに来てくれました。
午後5時、名護漁港に入港。
先回に訪れた時に停めさせてもらった岸壁に向かいます。
 
岸壁の上には、懐かしいパーソナリティの星さんが息子さんと一緒に
歓迎メッセージと共に迎えてくれました。
 

送ってもらい、迎えてもらえるのは嬉しいですね。感激します。
晩御飯は田中さんに来てもらい、沖縄そばのお店です。
 
27日は先回に会った方々と旧交を温め、2次会はスナックへ。
この手のお店に入るのは大変久しぶりです。
田中さん、有難うございました。


 
28日、今年の最終地点の宜野湾マリーナに移動。
山田さんのバースを来年3月まで使わせてもらう事に
なっています。
山田さん、本当に有難うございます。助かります。
 
29日、TOROAが入港してきました。
この夜の宴会はUminekoにてTOROAの3人、
先回、マリーナで会った浅沼さん、昨日会った愛知の駒井さん達を
呼んで鍋。
 
誠に楽しい宴会でありました。楽しすぎて落水者、頭部出血者が
出ました。
 
ここで、今年のUminkoの活動はストップ。冬眠をして来年の
マレーシアの旅に備えます。
 
日本クルージングの総括は「日本は漁港が面白い」。
 
今年もUmineko通信にお付き合い頂き、応援を頂き、誠に有難うございました。
月刊誌「舵」11月号にもUminekoの記事を取り上げて頂きました。
無事に、宜野湾マリーナに到着でき、感謝、感謝です。
 

では、来年3月に再びお会いしましょう。

2015年10月23日金曜日

10月23日、宝島から与論島

昨日からの雨が本降りになり、朝から驟雨に次ぐ驟雨で
観光の与論島、の茶花漁港内に閉じ込められています。
 
さて、10月14日の午前7時に宝島を出港。
同じ日に小島さんは午前3時半に悪石島を
出港。名瀬には2艇ほぼ同時に到着。

久々の街です。浮き浮きします。
街に近い漁港内に仮付けし、漁協事務所に出向きました。
残念ながら、漁港から停泊許可は出ず。
 
船を移動させるために船に戻ると、海保の方が3名船に来ています。
そこで、出入国港の名瀬港は開港では無い!という事を
教えて頂きました。国土交通省から不開港場寄港特許を得る
様にとの有りがたいご指導を頂きました。
 
暗くなる前に船を街から2キロ離れた船溜まりに移動。
フェリー乗り場にある管理事務所に届けに行って本日は
終了。

お風呂は街にあるホテルで750円。高い。
 
15日は例の長い名前の許可申請を行い、昼ごはんは
奄美大島名物料理No1の鶏飯を頂きます。
6種のカラフルな具、お櫃に入ったごはん、たっぷりの透明な
鳥スープがトレイに乗って出てきました。
茶碗にご飯を取り、具を乗せ、スープを掛けて、
つまり自分で組み付けて鶏飯の完成です。
 
お茶漬けの感覚。あっさりしていていい味でした。
お店(てっちゃん)の排煙ダクトがハブデザインはご愛敬。



 
16,17,18日はインプラントのチェックアップの為に小牧に
帰ります。奄美発、伊丹着便で移動です。
16,18日は長い移動で疲れました。
ヨットがいいです。乗り換えなし。
管理事務所に出向いて停泊料、840円を払います。
 
19日は名瀬を午前7時半に出てから古仁屋に移動。
せとうち海の駅に入れます。
狭い水路を使った係留施設ですが、沖を通る船の波が
よく入ります。

 
観光案内所で、20日に隣の加計呂麻島、諸鈍で島唄がタダで
聞ける催しがあり、更に21日には珍しい重要無形文化財
の「諸鈍シバヤ(芝居)」があるという情報を貰いました。
 
しかし、南の方では台風24号がルソン島を襲った後、北上して
こちらに向かういう予報がでています。
無料の島唄のみ聞いて移動し、芝居は次回のお楽しみに
廻します。
移動が遅れると奄美に釘付けの恐れがあったからです。
 
諸鈍という所、寅さんがリリーさんと住んだ家があるのですね。
デイゴ並木の前にありました。しかし、人は住んでなく、門には鍵
がかかり、荒れ始めていました。




 
21日は急いで沖永良部島まで移動。
海上は25ノットの風と3-4mの波です。
久々に外洋セーリングを堪能しました。
 
港で漁業組合長兼
町会議員の東さんという方と出会いました。
近くのホテルでお風呂を使える手筈をして頂き、
次の与論島の組合長にも紹介の電話
を入れて頂きました。東さん、有難うございました。


 
晩御飯は島の味を楽しむべく、地元料理のお店に。
近くに印象的デザインのスナックの看板がありました。
豚の顔、豚足、茹で殻付きピーナッツ辺りが面白かった。


 
22日は朝から小雨。与論島までを3時間で走り、
茶花漁港に入ります。

同行の折葉さんは以前に仕事の関係でここに
来た事があります。その相手先の社長さん兄弟、
漁協の組合長に迎えて頂きました。
 
社長さんに海の見える素敵なレストランでの昼ごはんに招待して頂き、
更に、車と別荘の鍵を頂きました。これで、足、風呂、洗濯機が
自由になります。


 
夜は近くの居酒屋で与論けんぽう。エイ、ヤッの類を見せて貰えるのかと
思ったら、イッキ飲み会でありました。献奉と書きます。
イッキ飲みの元祖らしい。
 
大杯に黒糖焼酎を並々と注ぎ、ホスト側が一言言ってイッキに飲み干します。
次は客人の番です。注いでいる時に「と」と言わないと焼酎は大杯をあふれて
お盆にこぼれ出します。これを続けます。黒糖焼酎は甘くて口当たりよく、
飲みやすい。これが危ない。









 
倒れる、血を吐くまで飲むーーという事も多いとの事。
飲んだ後で船に帰る時に落水して亡くなった方も
数人。
 
ここで、モズクソーメンというのを頂きました。新鮮なもずくそのものを

麺汁でソーメンの様に食べます。美味しい健康食でした。

2015年10月13日火曜日

10月13日、屋久島から宝島

10月7日午前6時に指宿港を出港。屋久島に向かいます。
快晴。順風満帆。49マイルを走って午後1時50分に宮之浦港に着岸。

 
26フィートのヨットの先客あり。IDDM日本一周チャレンジと書いた旗が挙げてあります。
オーナーは小島さん。IDDMは1型糖尿病という意味です。食事毎にインスリン注射を打ちながらの
日本一周。元国税庁の役人さんには全く見えない風貌です。
この夜の宴会、トカラの泊地では何回も出会う事になります。


 
漁船の近くにいたお兄さんに、近くの温泉に車で送迎してもらいました。
神田さんと言う方ですが、海遊びが趣味。
夜には奥様と4人の子供たちと一緒にヨット見物にきてもらいました。

 
8日は車を借りて観光です。
屋久杉を見るためにヤクシマランドに向かいます。
屋久杉は1000年を超えてやっと得られる称号です。
それまでは小杉と呼ばれます。杉ではありません、小杉です。
年輪を見るとその緻密な事。



 
横綱格の屋久杉には名前が付くようです。
千年杉殿、仏陀杉殿、紀元杉殿と面会できました。
紀元杉とのは約3000歳の大長老。胸囲8.1mの堂々たる
体躯でした。

 
屋久島で有名は温泉は平内海中温泉。
潮が引いている時のみ入浴が可能になる海中温泉。
残念な事に干潮は午後10時で、ここは見学のみ。


 
その近くに湯泊温泉というのがあって、3つの湯船があります。
最も海に近い所は小さな湯船ですが、海のすぐそば。
いい湯でした。


 
夕方には神田兄いの友達、弟分がUminekoに集まって
大宴会。潜って取って来た夜光貝、誠に上手に処理された
サバ、カツオの酒盗、地元の焼酎「御岳」を持ってきてもらい、
大いに盛り上がった次第です。おみゃげに「愛子」も頂きました。
全てが誠に美味しく、関サバも真っ青の首折サバ、夜光貝の
雑炊は絶品でした。

 
9日は宮之浦港を午前6時出発。日本の秘境の一つ、トカラ列島に向かいます。
黒潮に向かう事になります。当初は中之島までと思っていましたが
黒潮に阻まれ、口之島に変更です。

 口之島の泊地は、波からしっかりと守られた岸壁で、水が綺麗。
閑散とした港です。静かです。
人間は現れなかったですが、海亀さんが歓迎に現れました。
小島さんも到着。
ここでは港にある民宿「はまゆう荘」でお風呂を貰いました。

 
10日は口之島を午前9時50分に出て南隣の中之島に移動。
途中に諏訪之瀬島を通過。山頂からもこもこと噴煙が上がっていました。

 
中之島の停泊場所は小さく、クレーンの前しか空いていないので
そこに停めます。空は雨。ここには港の近くに西区温泉があるのが
嬉しいですね。建物は今年の台風15号で全壊。
島民の頑張りで、今は再建されています。
小島さんも到着。場所がないのでUminekoに横抱きにします。

 
11日は中之島を午前7時50分に出て悪石島に午後1時10分に
着岸。ここは接岸している岸壁にうねりが入り、よく揺れます。
隣に止まっている漁船が魚の積み出し作業を始めたので
近寄り、「ちびき」をタダで頂きました。その後、高級魚の
金目鯛、1.7Kgを1500円で譲って頂きました。
 


ここには温泉が3つあると村のHPに出ています。
露天+内湯の湯泊温泉。海中温泉さらに砂蒸し。
露天は9月で終わり。200円払って内湯に入り、
砂蒸しは床に引いてあるむしろの下に入るのですが
砂を落とす施設が無いので見学だけにしました。
港から急坂を登り、片道20分かかるのというのが
しんどいところです。




 
夕餉は金目鯛ずくし。刺身に焼き物、アラ煮にしゃぶしゃぶ。
どうやって食べても美味しいですね。
夜は晴れ上がり、天の川に手が届きそう。
おっさん3人が夜空の星に感動した次第です。
ロマンチックではありませんでした。
 
12日は村の見学です。急な坂を40分位登ります。
立派な学校、民宿が数件あります。
コインランドリーがあるにはびっくり。
人口60人、小中学生徒は合計8人、先生7人。
生徒数確保の為に、子供のいる先生が優先赴任とか。
 
 
村から帰って来て、干潮の時間に合わせて海中温泉トライ。
大きな岩の間からお湯は出ていますが、湯船
となる湯だまりがありません。
 
大きな岩に挟まれた狭い空間に入り、
斜めになった岩に上に寝転ぶと、お尻が
半分湯に浸かります。手で湯をすくって上半身、足に
掛けます。波が打ち込んで来ると温度が下がります。
なんとか、海中温泉に入りました。

 
昼ごはんを食べていると小島さん到着。
再び、横抱きにします。
 
お医者さんを乗せた船が着きました。
島の女性が迎えに来ました。
そのシャツの背中には
「悪」の一文字が。

 
太平洋戦争中、この島の北で対馬丸という疎開する
老人、女性、学童を乗せた船が米軍潜水艦に攻撃
され、沈没。1510名の命が失われたという悲しい歴史
があります。
 

13日は悪石島を7時45分に出発。
途中でカツオらしきものが釣れました。
FB友からこれはおいしい「スマガツオ」であるぞ
と教えて頂きました。
 

宝島に午後1時35分に到着。
大きくカラフルな壁画が迎えてくれました。
ここは波からよく守られた泊地で、さらに底が白砂で綺麗な泊地です。

 
ハイビスカスが咲き、蝉の声全開で南に来たなあ、という気にさせてくれます。

 
ここから南は毒蛇のハブがいます。今は冬眠の前で、木に登って
獲物を取っている最中と島の人に教えてもらいました。
くわばらくわばら。木の下は歩かないようにします。
 

ここはスチーブンソンが書いた「宝島」のモデルになっているとかで、
外部の人は勿論、島民も入ってはいけない場所があると土地の人に
聞きました。
 
この島にも温泉があります。火、木、土のみ開業。今日は火曜日。
準備をして出かけたら、ボイラー故障の為、閉館でありました。
残念!
 
夜はスマガツオずくし。確かに美味しい。
カツオとは全く異なる味です。
刺身のもっちり感はなんともいえません。
もう一回楽しめる様、半身は冷蔵庫の中です。