2014年8月28日木曜日

8月28日、Labuanbajoに到着



8月17日にLambata島を出港。島々の北側をホッピングをしています。一日40-50海里を西に移動しては適当な泊地、北東からのウネリが入らず、かつ安全に錨を打てる所を探しながら進んでいます。
 
昨日午後にFlores島の西端にあるJabuanbajoという町に到着しました。停泊しているのはこれまでと違って大変遠浅の浜です。テンダーのエンジンが底に当たってから水際までが長い。底は砂・泥で錨効きは良いので安心です。位置は南緯8度31分、東経119度52分。ここはコモドドラゴン(コモドオオトカゲ)観光の基地です。
 
移動の途中、3色カルデラ湖のあるKelimutu山登山--といってもほぼ山頂まで車で行って20分程度歩くだけですが。頂上には風呂敷を広げた商人が2人いてお菓子、果物、飲み物、カップ麺を売っていました。
 
又、Monというi村の郊外にある温泉も訪問しました。温泉は湯が川になって流れるほどの大量の湯が湧いています。バヌアツ以来の温泉でリラックスしました。
 
どちらも山道を車で3-4時間走ってたどり着くのですが、途中には棚田、田植え、牛、山羊、水牛という風景が点在し昔子供の頃に見た景色を思い出させてくれます。富士山に似た山がここにもあります。
 
27日は携帯電話の電波の無い小さな村の沖に停泊。上陸してみると、船大工の家の前で材木から木船を作っている最中でした。この船の工期は一か月程度です。学校の先生が現れて通訳と村を案内してくれました。村を歩くと子供がぞろぞろとついて来ます。最後に記念写真をとってさようなら。























2014年8月16日土曜日

8月16日、Lembata島

Karabahiでは山岳民族の村を訪問し、夜の歓迎式典ではAlor島の民族衣装を着せられてファッションショー。辻野夫妻、なかなか似合ってますね。
 
8月11日にKarabahiを出発し、途中2泊し13日にLambata島の首府、Lewolebaに到着。富士山か開聞岳に似た山2つに囲まれた泊地です。夕焼けは赤富士の如く。
 
ここでも歓迎式が準備してあって、小学生、中学生、高校生、地域伝統舞踊保存会、奥様コーラスを総動員。力の入った式典でもてなしを受けました。ここの子供もいかにも子供らしい、ちょっと恥ずかしがりでカメラを向けると撮って撮ってと集まって来ます。
 
16日はこの島の南にある誠にユニークな漁村、Lamalera村を訪問しました。ここは地球の歩き方によると世界で唯一の伝統的捕鯨が認められている村という事です。500人が捕鯨で生きています。

伝統的捕鯨法とは、小舟の舳に長いモリを持った勇気の塊のような人が乗り、クジラに近づいて飛び移りつつモリをクジラに打ち込むという大変に危険な取り方です。年に30頭位が上がるそうです。仕留めたクジラは帆船で浜に運び、浜で解体。それを村人全員で分けるという事でした。

ここには民宿が4つあって、その一つにドイツ人のカップルがいました。8日間滞在していて、1回クジラが浜に運ばれるのを見たそうです。但し、解体は見せてくれなかったとの事。残酷な写真を取られて、世界に報道され、禁止の動きとなるのを防ぎたいのかもしれません。ここの500人は捕鯨でしか生きる道を知らないのですから。
 
浜辺には茅葺の舟屋が端から端までびっしりで、インドネシアで見た他の漁村とは全く違う雰囲気でした。舟屋の屋根の下、村の木にはクジラ肉が沢山干してありました。クジラの骨、イルカの骨も村内のあちこちに転がっていました。日本人で小太郎という人が毎月この村を訪問しているそうです。
 
訪問した時に飛び魚を取った帆船が帰って来ました。子供たちが群がり、飛び魚の目玉の周りををきゅっと押さえ目玉を飛び出させちゅっと目玉を吸って食べていました。もちろん、生です。新鮮なDHAを直接摂取。頭がいいのかなあ、ここの子供達。
 
ここで、干したクジラ肉を買いました。250円。さて、どうやって食べるのか? 調理法をご存知の方がいれば教えて下さい。




















2014年8月9日土曜日

8月9日、今はAlor島のKarabahiです。

8月5日のTimor島、Winiでのレセプションに出席しました。招待客の主役です。6艇のヨットがWiniには停泊したのですが、招待を受けた夜の席に出席したのはたったの4人。

Winiの泊地はウネリが大きく、上陸する浜が急に深くなっていて小さな巻き波が立ち、テンダーから上陸、その逆時には腰から下はずぶ濡れになる覚悟が必要です。この為にUminekoの3人と会の幹事役をやったオーストラリア人、アラビアのロレンス似のアンドレさんのみが出席となりました。

行く前に浜で他のメンバーを待っていたら、一人の現地の人、ロニーさんがバイクで自宅へ案内してくれ、水浴びとコーヒーをサービスしてくれました。島民の風呂を初めて体験。誠に親切。お金などは全く期待していません。

Winiの町役場の広場で会は催されました。地元のダンスが披露され、ひとつのグループが終わる毎に一緒に記念撮影。最後に皆で手を繋いで輪になって簡単な踊りを踊って終わり。合間に音楽が流れ、勝手に踊るのですが、これがサンバのリズム。ブラジルサンバでなく、日本のダンスで踊られるバウンスの入ったサンバです。ステップもサンバと一緒。若い子に交じって楽しみました。広場には遠巻きの観客入れて300人位は集まっていました。

誠に純朴な人たちが、遠来の客を村全体で歓迎してくれました。今まで2年半廻って来ましたがこれは今までにない体験です。感動しました。

6日にWiniを出港、北に向かい、3ノットの逆潮に悩まされた後、Alor島の西海岸に一泊し、7日の昼過ぎにAlor島で一番大きな町のKarabahiに到着。深度13mに錨を打ってます。位置は南緯8度13分、124度31分。気温は昼で30度超、夜で26度程度。湿度は低く寝やすいです。

8日は一日ツアーで山岳民族の村と訪問、シュノーケルで遊んだあと、カーニバルの開会式を見に行く予定でしたが、開会式は急遽、9日に延期になりました。この、急に日にち、時間が変わるのがインドネシアの特色の様です。













2014年8月5日火曜日

8月5日、Winiに来ています。

Timor島のKupangから次の集合地、Alor島のKarabahiまでは140海里程度あり、オーバーナイトで走るかTimor島の北岸に沿って明るい時のみ走り、夜はアンカー停泊する事になります。時間はあるし、インドネシアには明かりのない網、明かりの無い小型漁船があちこちにいるという事なので明るい時のみ移動して夜は停まる事にしました。
 
同じような事を考える参加艇もいて、数艇でホッピングしながらTimor島のWiniという町に行こうという事になりました。

8月2日の朝に出発。北に40海里走った最初の泊地は波少なく快適でしたが、3日はインドネシアと東チモールの飛び地の国境あたりで午後3時。北東の向かい風が強くなってきたのでアンカーできる場所をインドネシア側に探しましたが、波悪く、海底深くギブアップ。

東チモール飛び地領内の海岸線に沿ってアンカーできる場所を探しながら進み、Viva Laylaが良さそうなところを発見。そこにアンカーを降ろしました。今日は日曜日。海岸では大家族がビーチに遊びに来ています。

ところが、寝入りばなの夜の9時頃、単気筒ディーゼルエンジンの音と、呼びかける声がします。外に出るとこちら懐中電灯が向けられてボートが来ています。一本丸太を掘ったカヌーに両舷のアウトリガーを付けた船に6人乗っており、先頭の2人は迷彩服をきて一人は軽機関銃を持っています。海賊でも来たかと思いましたが、「ポリス」という音が聞こえたので、警官が海岸に停泊している不審船をチェックに来たという事でした

わずかな英語の単語のやり取りの後、一人が乗船してきました。小柄な迷彩服に身を包んだ、ドミンゴさんです。拳銃持参です。上司に報告しないといけないという事で、「5人の日本人が2艇に分かれて乗っていてKupangから出港、Winiに向かう。一泊してあす早朝に出発する」という事のみを確認して帰っていきました。パスポート、船籍標等のチェックは無。
 
ドミンゴさんは「No Problem]と言っていましたが、上司の中には「カモがネギしょってやってきた」と考える人がいる可能性があるので、直ちに出港する事とし夜走りで翌日4日の朝にWiniに到着。現在はWiniの岸から少し離れた所にあるサンゴの浅い所にアンカーを打っています。位置は南緯9度10分、東経124度30分。

東から北東の風強く、時折強い突風が吹きます。その突風で風力発電機の羽が一本折れて飛んでいきました。
 
4日に陸上にあがり、しばし散策。インドネシア人は太平洋とか、カリブの島々の人々と比較してはるかに小柄なので、怖さはあまり感じません。お店の写真ですが、小さな店先にはガソリン(Bensin)、軽油(Solor)、多分灯油が瓶で売られています。

野菜は小さなトマト、緑の茄、胡瓜、ニンニク、キャベツ、ニンジン、青梗菜の様な物、長い豆、唐辛子等が棚に置いてありました。果物はバナナとみかん。小さな食堂は店先に2つの中華鍋を置いて商売するようです。現地の多くの家では衛星放送受信用の大きなパラボラアンテナが真上を向いていました。
 
左エンジンでバックギアからニュートラルに戻し難い、又バックで回転が上がらないという現象が発生。ギヤのコントロールケーブルを外して、いろいろ見ましたが、原因判らず。ふっと思う事あって、潜ってスクリュウを見てみると青いロープの切れ端が絡まっていました。これを外すと、問題は解決。良かった。セイルドライブが壊れてバックが効かないと、狭い所では誠に苦労するし、インドネシアでUminekoを上架し、まともな修理をしてくれる所は期待できないので、本当に良かった!






2014年8月2日土曜日

8月2日、Kupangの宴会

Kupangという街はヌサ・テンガラ州の首都ですが、余り観光資源には恵まれていません。この州は、インドネシアの観光ガイドにもちょっとしか出ていません。バリ島とかボルブドールのあるジャワ島と違って観光客の余り来ない所です。最大の売り物はコモドドラゴンと呼ばれるコモドオオトカゲ。
 
7月31日には市長主催の宴会、8月1日には州知事主催の宴会がありました。どちらも招待客という立場でタダでお土産を貰い、地方の音楽、踊りを見せてもらい、楽しく過ごしています。どちらも市長、州知事は出席せず、副市長、副州知事の出席でした。全員にばら撒かれるお土産はこの地方の織物です。カラフルな肩掛けです。

代読の挨拶jから始り、この地方の音楽、ダンスが披露され、ダンスが皆で踊るダンスに替り、最後は生バンドカラオケで朝の3時頃まで続いた様です。で、夜遅くまで楽しんでいるのは招待側のスタッフと家族、仲間という感じで客は宴会の理由で最も楽しんでいるのはインドネシアの人達というふうに感じました。副市長は我々は宴会部長と呼んでいたのですが、生バンドをバックに英語の歌を歌詞を見ないで上手に歌っていました。
 
31日にスタート時の賞の発表があり、狙い通りプレゼンテーション賞を頂きました。賞品は地方の大きな織物でした。お土産を買わなくて済みました。
 
バッフェの食べ物は誠に我々の口にある味(塩加減、スパイス加減)でインドネシアの食べ物を見直しました。以前に仕事でジャカルタを訪問をした時に食べたインドネシア料理よりもいいですね。
 
今朝、Kupangを離れ、北島に44海里移動した何も無い所でアンカー停泊しています。明かりが無くて、星が綺麗です。