2013年9月26日木曜日

9月26日、Uticaで待ち

現在、Uticaというニューヨーク州の小さな町でUminekoは待機中です。エリー運河管理会社の補修用ドックに舫ってます。電気と水は取れるので、なんとかしのげます、無料。
 
運河の開通は最初の情報は10月7日、次に「ここだけの話、10月1日に一時的に開けるかもしれない」、現時点は「10月4日から6日まで水深7フィート(Uminekoは3.5フィートなのでOK)で一時的に開け、その後は数週間閉じる」。という事で、4日の開通を待つ事になります。
 
このUticaという町、ニューヨーク、トロント、モントリオールの丁度中間地点にあります。私は時間潰しにモントリオールに来ています。サリーさん、マリオンさんはニューヨークへ。モントリオールは北米で最も欧州の都市に似た街ということで、来てみるとなるほど服装が北米人というより欧州人の感覚で、欧州に来た気分です。
 
街の木々は既に紅葉が進んでいます。
 
ここのマリーナで72フィートのクルージングヨットを見ました。HPが記してあったので覗いてみると鋼鉄船で、世界中を回っている船でした。設備は誠にしっかりしています。乗艇も募集している様ですが、安くないですね。一日100-150米ドル程度。下記がHPです。




2013年9月21日土曜日

9月21日、Brewerton-Rome

9月19日は朝から快晴で暖かくなる予報だったので、Oneida湖に出てアンカー停泊。マリオンさんをパドルボードで遊ばせ、サリーさんはお好み焼きの練習。日没後の綺麗な空、その後に顔を見せた満月、足止めを一時忘れました。
 
20日は湖の東端のSylvan Beachへ移動。往路に停泊したLanding Marinaで一泊。一泊53ドル。たまった洗濯物をまとめて洗いました。
 
21日は登りロックを2つ超えて15マイル離れたRomeに到着。ここは無料の壁に停泊。電気はありますが、水道、シャワーは無。
 
往路は6月で木々の葉は緑一色、水面は綿の木の花粉で覆われていましたが、復路は緑が黄色に、一部は橙色に変わり、水面には枯葉が流れています。秋の気配が日々濃くなってます。





2013年9月18日水曜日

9月18日、エリー運河通行止め !!!

15日の朝に田中さんが帰国。替りに15日の夜にはモントリオール在住のフランス人、マリオンさんが到着。
 
来た時と同じような、妙齢女子2人、おじさん1人の旅が始まりました。16日の朝には登りロックを一つ越え、セイルドライブのオイル漏れを修理の為に予約をしておいたBrewerton Boat Yardに到着。
 
上架時に船台の車輪がレールから外れるというトラブルは発生したものの、何とかリカバーして16日に上架完了。17日は朝の気温が3度と冷え込み、水面は一面の靄に覆われましたが、天気は快晴。午前にセールドライブを取り外し、午後に分解。オイル回路と冷却海水回路との間にあるOリングの座りが悪く、ここから漏れが発生している事が判明。

昨年にオーストラリアでセールドライブからの海水漏れ修理を業者にやらせた時の組立不良が原因と思われます。ここでは、オイル回路を触ったときは組み付け後に圧力計付の空気ポンプを使って圧をかけて圧力低下が無いか確認をしていました。

原因が判って修理をしてもらい、空気圧テストで検査をしてOKまではよかったのですが---マリーナに今日、運河管理会社からFAXが入りました。この先のロック、13,14,15が緊急修理の為、今日から閉鎖という事です。開通は10月7日予定との事。

ロックの数字は東に行くほど小さくなります。 事前連絡無の閉鎖は大変異例と現地の人は言っています。現在位置はロック22と23の間のBrewertonという村。ここから東のUticaの更に東のSt. Johnsvilleという村までしか行けません。距離にして80マイル、148kmを19日かけて進む
ことになります。
 
迂回路として、ここから西に逆走、三叉路を右折してオンタリオ湖に出てセントローレンス川を下り、モントリオールの少し北から南下してハドソン川に繫がる運河があります。この経路だと400マイル余計に走ればニューヨークに辿りつける筈。

ところが、途中に幅が7mしかないロックがあり、Uminekoは7.2mの為、通行不能が判明。
エリー運河のロックの修理を待つしかないという事になりました。19日間の足止め。まあ、どうしようもないですね。

退職者の私にとっては大した事ではありませんが、
2週間の休暇を取ってシラキュースからニューヨークまで船旅の予定だったマリオンさん、かわいそう。




2013年9月15日日曜日

9月15日、エリー運河

9月12日は午前8時30分にFairport出発。天気は思わしくなく曇り時々雨。途中、橋の袂で沈没しかけたヨットを浮上させる作業を行っている場所に遭遇。なぜこんな所で沈没したのか、全く分からないですね。

ロックを5つ越えてClydeという小さな村の無料係留所に午後3時に到着。シャワーは無ですが、電気、水道、トイレは無料で使えます。村の酒屋で店番をしていたミシェルさんが昔のエリー運河跡に案内してくれました。今、通っている運河は1918年開通の3つ目の運河で、1825年開通が最初の運河、2番目が1862年開通。運河の大きさは徐々に大きくなっています。1825年開通の運河のロックではUminekoは通れないですね。
 
9月13日、今日は朝から雨。午前7時50分Clyde出発。Syracuseの北東にあるマリーナに午後3時に到着。寒いので、夜は海鮮鍋と日本酒で暖まりました。
 
9月14日は湖を縦断してSyracuseに買い物に行きました。街の近くにInner Harborという所があり、係留できます。が、泥棒が多いという話だったので、私は艇に残って整備作業。田中さんとサリーさんが買い物部隊です。作業をしているとアジア系の顔つき、ちょっと色黒ですが日本人に多い顔です。どこから来たのか聞いてみたらなんとブータン。ネパールに20年住んだ後、5か月前にアメリカに来たとの事。

つぎは、自転車に乗ったベトナム人、その次はタイ人のグループと、アジア系が妙に多かったですね。マリーナオーナーのクリスさんがマリーナを案内してくれました。ごちゃごちゃとした事務所は整理は全くされていないものの、何でもあります。アヒルはペット。本人はボートのオーニングを作るプロ。この作業場は整理されていました。夕方になると仲間が集まってきて、宴会モードになり、一人が取ってくれたピザとチキンが夕食となりました。
 
9月15日は早朝にも関わらず、クリスさんが田中さんを空港に送ってくれるという事で、5時半マリーナ出発。田中さん、ご苦労様でした。
 
昼はサリーさんはクリスさんにキャンバス地の縫い方を教えてもらい、私はステンレスパイプのさび取りと後部座席の修理。夕方にはクリスさんにボートで近くの小さな町のマリーナ見物に連れて行ってもらいました。この町はその昔、地下にあった塩水から塩を作る作業所がありました。岩塩ではありません。地下に塩水の水脈があって、それを汲みあげて天日で水分を蒸発させて塩を作っていたそうです。この陸のなかで塩水から塩を作っていたとは!
 
クリスさんにはすっかりお世話になりました。







2013年9月11日水曜日

9月11日、バッファローからFairport

9月7日は午後から天候が崩れ、夕方には風は20-25ノットまで上がり、雨も加わって散々でした。6月に来た事があり、係留場所は判っていたので同じ所に無事着艇。2艇隣のヨットから見覚えのある顔が向かってきます。6月に来た時に知り合ったギタリストのクリスさん。
舫いを完了した所に、カナダナンバーの車が到着。ラリーで知り合ったカナダのご婦人、アイリーンさんが到着。Uminekoに2泊する事になっています。このマリーナは買い物に行くのに車が必要で、車が使えるのは助かります。
夕方には近くでヨット教室を開いているスウェーデン人から夕食のお誘いがありました。ヨットという共通項目だけですぐ友達が出来るのは、誠に嬉しい。ヨット遊びの素晴らしさの一つです。会場は自家製の浮き桟橋のクラブハウスです。ロブスターサラダとロブスターソースのフェチーニ。いい味が出ていました。

料理をしてくれた人はカリブ海でヨットの雇われキャプテンを長くやっていた人です。彼から面白い皿洗いの方法を聞きました。走行中、食後の食器を網に入れて海に落とせば、1時間もすればすっかりきれいになるそうです。今度、やってみましょう。

2次会はカラオケマシン、プロジェクターが急遽登場。元気のいいのはご婦人方でありました。今回はお好み焼きは無し(オーバーナイトセーリングで疲れていたので)。
8日はマスト倒しの為の準備です。セイル、ブームを外します。メインセイルの重たさが体にこたえます。
9日は午後からマストを倒し、エリー運河に戻る準備が整いました。晩御飯はマリーナのキャシーさんに、バッファローといえばバッファローウィングのバッファローウィングを売りにしている郊外のレストラン、Duff'sでご馳走になりました。この店では17種類の違った味のウィングがあります。名物はSuicidal。すっごく辛いです。

食べた後に10-15分位は口と鼻のあたりがしびれます。更にその上がArmageddon。死ぬほど辛い。バッファローに行った際は是非お試しください。住所は3090 Orchard Park Road, Buffalo, NYです。食後に船に戻ったら、クリスさんと奥さんのキャシーさんがお別れを言いに来てくれ、またまた一杯。
10日午前7時に出港。強めに南西の風が吹きナイアガラリバーを下るUminekoを押してくれます。川幅の狭い橋の下では流れが7ノットもあり、対水速度5ノットで対地速度が12ノットも出ました。ナイアガラリバーが2つに分かれる所で右に進み、更に30分進んだトネワンダという所で右折してエリー運河に入ります。運河内のロック、橋の営業時間は午前8時から午後6時までで、この間にしか移動できません。

9月3日のレイバーデーの後はこの地方のボート遊びはシーズンオフで運河はガラガラ。ストレス無です。最初のロックは2段の連続ロックで約15m下降します。下り楽です。登りの様にロープを力一杯引いたり、壁を押したりする必要がありません。前後からの風が強いとそれに対応してエンジンを使う必要があるだけです。ロックの後はエレベーター式の橋を9つくぐり、午後5時にAlbionという町に到着。ここは係留、電気、水道、シャワー、トイレすべて無料です。いい所です。
11日は8時に出港。昼間は34.5度まで上がり暑い日になりました。後部の足場に座って足を水にいれると天国。8つのエレベーター橋と2つのロックを越えてFairportという町で一泊です。ここはエリー運河の宝石と呼ばれている綺麗な町で、更にトイレとシャワーはエリー運河で一番いいとガイドブックに書いてあります。運河の両岸が係留所になっているのですが、オフでも7割は埋まっており、人気の町です。ここは電気、水、シャワー、トイレがついて一泊11ドル。カタマランは珍しく、更に日本国旗を上げたヨットは更に珍しく、多くの人が話に来ました。昼間の暑さもあって、対応に少し疲れました。






2013年9月6日金曜日

9月6日、クリーブランドからバッファロー

9月4日はPut in Bayからクリーブランドに移動。適度の追い風が吹き、波無でカタマランセーリングを久々に満喫しました。クリーブランドのEdge Water Yacht Clubに入港。一泊$43、一泊泊まれば2泊目はタダというピザの様な価格のマリーナです。ここはレース志向のヨットが多いマリーナで、着いた当日も夕方はレース。J22とかJ70という新しいレース艇も沢山参加。、
 
ここではラリーで会ったクリーブランドの家族、先日デトロイトに遊びに来ましたが、ルーさんとコリーンさんにお世話になりました。足が無い我々は車であちこちに連れて行ってもらうのは、誠にありがたい。

家庭訪問、ロックンロール Hall of Fame、美術館、マーケットで買い物を楽しんで、6日の午後1時にマリーナを出港。オーバーナイトセイリングで154海里東のバッファローに向かっています。現地時間7日の夕方に到着予定。現在は風は南東5ノット。機走+ジブで6ノットで走行中。
 
今日のエリー湖の夕焼けは雲が色々な色に染まり、絶景でありました。
 
今後の航路の質問があったので、予定を説明します。
 
デトロイトを9月3日に出発。来た道を帰ります。エリー湖を東に横切り、バッファローでマストを倒し、エリー運河を東に向かいます。今度のロックは2つを除き、下りのロックなので下降時には激しい水流は無く、楽ちんです。

ハドソン川に合流したら南下し、マストを立て、ニューヨークに向かいます。ニューヨーク着が9月30日予定。10月2日に出発。

東海岸を海岸沿いに下り、デラウエア湾の奥に向かいます。奥にチェサピーク湾に繫がる運河があるのでそれを通り、チェサピーク湾の奥に出ます。そこから湾口に向かいます。途中のアナポリスでヨットショーを見学後ノーフォークからICW(Inter Costal Waterway)という水路を通って、フロリダまで南下。

11月の前半にフロリダのFt. Lauderdaleから米国を出国し、バハマに向かいます。バハマで3週間程度過ごした後キューバのハバナに入港。1月弱かけてハバナから反時計回りにキューバの沿岸を半周、新年はここで迎えます。次はジャマイカに移動。

1週間程度滞在後、カリブ海を縦断。パナマのサンブラス諸島で1週間程度クルージング。その後、パナマ運河通過の為、カリブ海側の入り口のシェルターベイに移動、1月26日着予定。

ここでWorld ARC2014に合流し、2月初めにパナマ運河を通過し太平洋側に出ます。(パナマ運河通過時のみARC 合流)

南太平洋のサイクロンシーズンが終わるのは4月なので、様子を見ながらパナマシティで待機。大丈夫と判断した時点で出発。マルケサス島に向かいます。この区間は約4000海里で最も長い航海になります。マルケサス島の後はタヒチ、ニウエ、トンガ、フィジー(ここで世界一周完結)、
ニューカレドニア又はバヌアツ北部に寄りながらオーストラリアのダーウィンに7月20日頃に到着。

ここでラリーインドネシアに参加。7月末にダーウィンを出発し、インドネシアの島々を回りながら10月にシンガポール着。

その後はマレーシア西岸を北上。ペナン、ランカウィ、プーケットのどこかで長期に船を置いて整備できる所を探します。そこに船を置いて、今回の長期航海は終了。12月に日本に帰国して、その後の船の取り扱いを決める予定です。






2013年9月3日火曜日

9月3日、デトロイト出発

DYCではUminekoに根が生えそうでしたが、ヨットは走ってなんぼ。予定通り、9月3日午前7時にDYCを出港。乗員は生沖縄から飛んできてくれた田中さん、サリー君、私の3人。DYCのジュディさん、チャックさん、マギーさんが早朝にも関わらず、見送りに来てくれました。寒い位です。気温は15度。西の風7-12ノット。

Bell Isleの東側をくるりとまわり、デトロイトリバーの川下りです。流れが2.5-3.5ノットあり、誠に快調。アンバサダーブリッジ前で風の角度が良くなってきたので、ジブセールを展開。途中、白鳥コロニーの近くで、水草地帯に突入。舵に大量の水草がからみましたが、艇を止めてボートフックで
潜らずに何とか取れました。

エリー湖の天気は快晴。風は弱めですが斜め右後ろからで、押してくれます。今日の目的地はエリー湖の南に位置するSouth Bass IslandのPut In Bay。遠くから高いタワーが見えます。ペリー提督の記念タワーです。黒船を率いて日本来たペリー提督、エリー湖ではイギリス艦隊を破っておりその記念塔です。高さ352フィートの高い塔です。イギリスではこれは海戦に負けた事にはなってないらしい。エリー湖は海ではないという事。
 
午後4時に湾に入り、ムアリングブイを取りました。VHFの10チャンネルでウォータータクシーに来てもらい、上陸です。ムアリングブイ一泊30ドル也をタクシー内で支払い。船と陸とを結ぶウォータータクシー代は込、回数は無制限。船着き場にはトイレとシャワーが2つずつ。
 
DYCの友人から、ここの見どころは3つ、ペリータワーとワインセラーの地下にあるクリスタル洞窟、世界一長いバーカウンターと聞いていたので早速ペリータワーに向かいます。何と、30分前にエレベーターが故障したので、登れないとの事。残念。

遅くなりつつあるので、クリスタル洞窟に急行。着いたら5時半。最後のツアーは終わったと言われましたが、サリー君が粘って、特別に見せてもらう事になりました。更に入場料の3ドル無料になり、ペリータワーの残念感を払拭。

最後は世界一長いというバーカウンターのあるお店に行きましたが、シーズン終わりで閑散としています。名物のバーは長い直線部分と凸凹になった部分の組み合わせで405フィートという事でした。カウンターの中にいた女の子はブルガリアから来ている学生さん。ブルガリアといえば、「Yes]と「No」の頭の振りが世界と反対と聞いていたので確認したら、その通りでした。縦にうなずくのは「No」です。
 
名物のロブスタービスケに舌鼓をうち、リゾートの湾に浮かぶ愛艇が夕のに淡い光に包まれているのを眺め、久々のセーリング第一日目を終えました。





デトロイトありがとう

約10週間滞在したデトロイトヨットクラブ、日を追う毎に友達が増え、より親しくなり、別れがつらくなってきます。

8月21日には航海のプレゼンテーションの機会もありました。30日にはカラオケマイクも久しぶりに大活躍。

世界最大の無料ジャズフェスティバルは8月30日から9月2日まで。

最後の1週間はソーラーパネルを付けたり訪問客も多く、忙しい日々となりました。DYCの元会長のポールさんからはUminekoネーム入りの割れないタンブラーを頂きました。8月31日、9月1日はラリーで知り合った家族がクルーブランドから遊びに来、9月1日にはデトロイトからエリー運河中間点のシラキュースまで乗艇する田中さんが到着。

出発前日は紀平さんの家に呼んでもらって、手作り料理を頂きました。ついでに日本食材店で買い出し。
 
DYC、ありがとう。紀平さん、ありがとう。